2011年03月28日

「死刑執行人の日本史〜歴史社会学からの接近」




櫻井悟史「死刑執行人の日本史〜歴史社会学からの接近」青弓社ライブラリー66







決して大部の論考ではないし、さりとてよくある死刑廃止論の書籍ではない。

 著者の目的は
本書の目的は、刑務官が死刑執行を担っていることの自明性を崩すことにある。(序章 死刑判決問題と死刑執行問題 p27)”
であり、その姿勢は繰返し述べられている
死刑廃止論の立場から死刑執行人の歴史を記述すると問題が死刑存廃論に回収されてしまい、死刑執行人の抱える問題が隠されてしまうのである。そのため本書では、死刑存廃論と死刑執行の問題が別の問題であることを繰り返し強調していく。(序章 死刑判決問題と死刑執行問題 p36)

に尽きる。


目次
はじめに――「人を殺すことを拒否する」と主張することは許されないか

序章 死刑判決問題と死刑執行問題
 1 死刑研究の二つの側面
 2 前提となる背景――日本の死刑執行人に関する基礎知識
 3 死刑執行人の実際
 4 なぜ刑務官が死刑執行を担うことになっているのか
 5 本書の方法

第1章 牢役人は死刑を担っていたのか
 1 江戸時代の刑罰――死刑観と身分観
 2 牢役人は死刑に関与したのか
 3 死刑執行を副業とする山田浅右衛門

第2章 なぜ看守が死刑執行を担うようになったのか
 1 絞柱の登場
 2 ダーティーワークとしての死刑執行
 3 旧刑法下での死刑執行
 4 イギリスとの比較――〈死刑の執行は刑務官の職務だから仕方がない〉わけではない

第3章 戦後から現在に至るまでの死刑執行人をめぐる諸問題
 1 国家公務員法の制定・改正へのGHQの関与
 2 絞首刑違憲訴訟
 3 法文上での死刑執行現場の消滅
 4 死刑執行人の現状と問題点

第4章 問われなくなった問題とは何か
 1 死刑執行人の声
 2 刑務官が死刑執行人であることの問題性の変遷
 3 何が問われなくなったのか

おわりに――〈殺させられる〉という問題


 江戸時代の法体系を「公事方御状書」から分析して、牢屋区域内で執行された死罪について、現在の刑務官に当る牢役人が関与していたのかを明らかにした。その結果、世襲の牢屋奉行石出帯刀配下の牢役人ではなく、首討役同心(町奉行同心の当番若同心)や山田浅右衞門一族などの外部の士分の者が執行していた事を明らかにする。
 また執行における非人の役割を明確に示し、死罪の中での磔刑のみ非人が執行した事実と、執行する者の身分が死刑の軽重に影響する要因となったとの考えを示している。
 それによって、死刑囚に直接触れる事を忌避する事が、明治まで持越され、技術を要する斬首廃止のあと採用された、技術を要しないが執行する者が死刑囚との直接的身体接触を為さざるを得ない器械による絞首という方法にした事により、官吏に当る看守ではなく、一般的な雇人である獄丁あるいは押丁が執行していた事実を示す。
 その上でその後押丁が全廃された要因は不明としながらも、押丁が消滅した事で看守(=刑務官)が監獄内での最下等の職掌となったため、それ以降現在に至るまで、国家公務員である看守=死刑執行人という図式が誕生した事としている。

 その他の偶然的歴史的経緯や今までに発表されてきた死刑関連の書籍や映画などを考察し、現在において、刑務官が死刑執行人である根拠が、架空のやりとりで、いかに異様であるのかを敍述する。

裁判官「死刑の判決が下ったので、執行するまで刑務官であるあなたが死刑囚を拘置所で拘置しなさい」(刑法11条2項)
刑務官「了解しました」
(死刑判決が確定された日から六ヶ月以内のある日〔刑事訴訟法475条2項〕
法務大臣「死刑を執行することに決まりましたので、死刑囚を五日以内に殺してください」(刑事訴訟法476条)
刑務官「誰が殺すのですか?」
法務大臣「正確には、誰であるか知りません。ただ、1991年までは刑務官であるあなたの仕事だったようです。それ以前の約九十年間もあなたの仕事だったのだから、あなたが請け負うのがいいでしょう」
刑務官「とはいっても、いまはわたしの仕事ではないようですので、わたしが執行する必要はありませんよね? あなたがすればいいのではないですか?」
法務大臣「しかし、あなたはわたしの部下です。あなたは上官であるわたしの命令に従う義務があります」(国家公務員法98条1項)
刑務官「ですが、わたしは殺したくありません。死刑囚とは何日かともに過ごし、コミュニケーションをしてきたのです」
法務大臣「あなたの意見など聞いていません(国家公務員法98条2項)。べつに犯罪行為ではないのだから(刑法35条)、黙って命令に従い、殺しなさい。あと、死刑囚を自殺させてはいけませんよ。死刑囚はあなたが刑事施設内で絞首して殺さなければならないのですから(刑法11条1項)。それと、方法は百四十年前の方法を参照しなさい(明治六年太政官布告65号)。この方法が残虐でないことは保証します(昭和二十六年(れ)第2518号同三十年四月六日大法廷判決)」
刑務官「現在の器械と少し形が違うようですが」
法務大臣「百四十年前の器械を参考にして改良したものなので問題ありません(昭和三十二年(あ)第2247号同三十六年七月十九日大法廷判決)。それでは、あとはよろしく」

もちろん現実はこのとおりではない。
重要なのは、法律に準拠するなら、こうした会話が成立可能な点である。殺すのはいやだと述べても、上官の命令であれば従わなければならない。このような状況を〈殺させられる〉というのである。
(おわりに─〈殺させられる〉という問題 p202-204)


最後に投げかける

死刑執行人の苦悩とは、この異様さに対する真っ当な反応なのだ。この真っ当な反応について考えることが、死刑をめぐる議論のなかで必要なのである。
(おわりに─〈殺させられる〉という問題 p204)


 著者自身も答えは出してはいない、問題提起である。
裁判員制度が進行していく中で、著者が繰返し示す「死刑判決と死刑執行は切り離して考えるべき」という意見は至極真っ当であり、巷間誰かが指摘していたように、死刑執行人は選挙人名簿の中から無作為で選出すべきである。という意見もあながち否定できない。

 個人的に著者の言の中で一番心に刺さったのは、以下の部分である。
 死刑存置論者は死刑判決だけではなく、死刑執行について、多くのことを考えるべきである。〈中略〉そして何よりも、死刑判決だけでなく、執行の存置をも主張するのであれば、そう主張する者こそが、刑務官は〈なぜ人を殺したくないと述べてはならないのか〉に答える義務があるだろう。(第3章 戦後から現在に至るまでの死刑執行人をめぐる諸問題 p135)
ラベル:読書
posted by blindskull at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 讀書ノヲト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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